ブログのふしぎ

 ブログってやつは、つくづくふしぎなものだと思います。
 まぁ、友人が書いているのを読むに付け、自分も書いてみたらどうだろう?と思い書き始めたの
ですが、リンク元の表示をするようになってから、ますますふしぎは深まるばかり。

 例えば、私の日記、まったくコンセプトもなく、飲酒の記録であったり、食事の記録であったり、
最近思うことだったり、愚痴だったり、本の感想だったり。極めつけには、文章が上手いわけで
もなく、趣味に一本筋がとおっているわけでもない。

 なのに、多分知り合いではないと思われる人がアンテナに入れていたり。リンク元を辿ってみる
と、あまり趣味の繋がりで見に来ているとも思えなかったり。

 なんとも、ふしぎなものです。

 ただ、インターネットが持つ、待ち状態のコミュニケーションであると言う点は変わらないよう
に思います。ちょっと前なら、ホームページを開設して、掲示板やチャットを設置して、同好の士
を「待つ」。当然ながら、同好の士を探すべくネットサーフィンしても良いのですが、発信する側
の立場としては、やはり「待ち」なのは変わらない。

 と、ここまで書き進めて、やはり基本的にコミュニケーションツールは対面会話であろうと、電
話であろうと、メールでも手紙でも、基本的には発信する側からしてみれば、「待ち」なんだろう
なぁと感じ始めてしまいました。多分、即時性と強制力、発信対象の数の差があるだけだと思います。
 対面会話や電話だと、受信側も即時に、半強制的に反応を示さないといけない(対象数は基本的
に一対一)。メールは即時性も強制力も薄い(対象数は複数でも可)。ホームページやブログならな
おさら(対象数は無限大)。

 いずれにしろ、上記の3点(即時性、強制力、発信対象数)を勘案して、コミュニケーションツー
ルを使い分ける必要性があるのでしょうね。当然ながら、「記録に残すかどうか」と言う要素も場
合によっては絡んで来ますが。

 うわ。思わぬところから、論旨が飛躍を遂げて3回転半のスピンをした挙句、暗礁に乗り上げた
感じですが、読み流してくださいな(^^;